市民活動ワクワクレポート内容
元小学校教師が、自身のふるさとと語る「猪飼野」の地で、多様な人たちが安心して暮らせるまちづくりをめざし立ち上げた「まちの拠り所Yosuga」。
「ヨスガ」は、「心のよりどころ」「頼みの綱」といった意味があり、漢字で「縁」とも書きます。子どもたちに「自分の故郷を好きになって自信を持ってほしい」との溢れんばかりの熱い思いパワフルな人柄で不思議な「縁」を引き寄せ、一つずつ思いを形にする一般社団法人 ひとことつむぐ 代表 足立須香さんにお話を伺いました。
子どもたちが何か困ったことがあった時、ふらっと立ち寄れる場所をめざして
「まちの拠り所Yosuga」はどんな場所ですか?
地域の人たちが、気軽に寄って話をしたり、情報交換をしたりする場です。
「Yosuga食堂」として、子どもたちにお弁当を配ったり、朗読劇や映画の上映会など文化を発信したり。この猪飼野の地は、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが暮らしていて、朝鮮半島にルーツを持つ人も多いです。ルーツを大切に、との思いから朝鮮学校の現状を描いた映画「アイたちの学校」を上映して、監督にお話してもらったこともあります。
子どもからお年寄りまで誰でも何か困ったことがあった時に、ふらっと立ち寄れるような場所をめざしています。
閉校した御幸森小学校への思い入れ強く、居場所づくりを決意
居場所を立ち上げたきっかけをお聞かせください
2021年3月に閉校した生野区の御幸森小学校で、私は2017年3月末まで10年間勤め退職しました。 34年間の教員生活でした。
学校って、地域のシンボルみたいなものでしょう。それがなくなってしまうと聞いた時、あまりにショックで。それがきっかけで、子どもたちが困った時など、気軽に寄れて、相談ができるような場所を作りたいなって思ったんです。
たまたま校区内で知り合いのNPOの事業所が売りに出ていておもわず退職金で購入してしまって…それを生野区の空き家活用プロジェクト(空き家カフェ)で出会った人たちに協力してもらってリフォームし活用しました。
私は、東成区と生野区にまたがる、猪飼野という地域をふるさとだと思っています。地元にいると気づかないのですが、高校などに進学して一歩外に出ると「その辺にあんまりいいイメージないわ」と言われることも多かったんです。今もマイナスイメージはあるかもしれないけど、当時は特に根強い差別を感じました。
御幸森小学校は朝鮮半島にルーツを持つ子たちが7割にも及びました。ほかにも、カンボジアやナイジェリアなどの子もいて、以前から「多文化共生」の教育が根付いていました。2007年にはユネスコスクールにも認定されました。隣にいる友だちのふるさとのルーツを知るって、面白いし、大切なこと。大人たちがマイナスのイメージを持っていたとしても、子どもたちが自分や友だちの育った地域のルーツや歴史を知ることで、地元を好きになって自信を思ってほしいなと。プラスの感情に変えていきたい。そのお手伝いができる場になればという思いもあります。
フィールドワークでの学びを形にして子どもたちの心に残せる工夫
どのような活動をされているか、お聞かせください
例えば、校区内の御幸森天神宮の主神は仁徳天皇で、その即位を祝して、内には百済からの渡来人である王仁博士が詠んだ「難波津(なにわづ)の歌」の歌碑があります。
古代から和歌の手本とされている歌なんですね。そういった、朝鮮半島についての歴史を学べるフィールドワークなどしたりしましたが、子どもたちに地域で学んだことをずっとおぼえておいてほしくて。
だから、何か形にすることが大切だなと思って、御幸森小学校の子どもたちと、「猪飼野せんべい」を作りました。子どもたちが焼き印のデザイン(御幸森神社の狛犬と朝鮮の伝説の聖獣「へチ」やコリアタウンにある百済門など)を考えました。イベントなどで子どもたちが自分の手で売ったりもしました。閉校の記念として、御幸森小学校最後の卒業生となる子どもたちと猪飼野の名所をイラストで描いたトートバッグも作りました。どちらもYosugaで販売もしています。
たまたま声をかけた人にも協力求む!出来ない部分は誰かに頼る!
次から次へと、思いを叶えられる秘訣やエピソードをお聞かせください
そうですねえ…。特に意識したことはないですが、私ができない部分を誰かが助けてくれる環境に恵まれていて、私自身、身の丈に合った活動ができているという感じかな…。ただ、私はしつこいと思います(笑)。何かすると決めたことは、時間がかかっても必ずします。焦らず、どこかから何か降ってくるのを待つんです。あとは、何か作って売るにしても、物を売るのではなく、物ができるまでの「物語」を買ってもらうつもりで作ってますね。
猪飼野せんべいは、生野区の文楽せんべい本舗さんに、私が行って熱い思いを語りました(笑)それで協力していただけることになったんです。その際、少しでも私たちの利益になるようにと、色々とお気遣いをいただき、思いが実って商品化することができました。
トートバッグは、生野区のイベントで出会った生野区の団体・ZIPANGさんとのお話から生まれた構想です。その時は子どもたちに「バッグを作るのに協力してくれる会社がないか、お店を見ておいで」と声をかけました。何か企画をした時に、助けてくれる大人がいるということを知ってほしいと思ったんです。
トートバックのイラストを描いてくれたのは、大阪市立デザイン教育研究所に通う赤松佐助さん。Yosugaの前で建物に見入っていたので声をかけたんです。聞けば、たまたまフィールドワークで猪飼野探訪をしていたデザイン学校の学生ということ。これは力になってもらえそうだと思って、「子ども食堂のお弁当を食べない?」とお誘いし、いろいろ活動の話をしたら協力してくれることになりました。
生涯学習を提供できる場として偏見や差別をなくしたい
今後の抱負についてお聞かせください
ここでつながっていたさまざまな人たちと連携しながら、困っている人を助けていきたいし、まずは、みんなの心の拠り所でありたいと思っています。未来のある子どもたちを支えるために、周りの大人が多文化や猪飼野の歴史を学ぶ生涯学習の場にしたいです。
大人が学び、子どもたちに伝えることで世代交流になりますし、偏見や差別をなくすことにつながると信じています。このYosugaから、誰1人取り残さず明るく元気に過ごすまちづくりにつなげることができたらと思っています。
取材・記事作成:フリーライター 宮本 美智子