みんなの活動報告内容

  • ●伝統野菜の掘り起こし×歴史ロマン×食文化
  • ●天王寺蕪の会×野沢温泉村×地域×学校
  • ●市民団体×地域×学校×寺院×企業×観光協会×行政

 

 

市民活動から、なにわの伝統野菜が復活

「なにわの伝統野菜」をご存じでしょうか?

なにわの伝統野菜とは、大阪に古くから伝わる地域独特の歴史や伝統をもつ野菜のこと。しかし時代の変化とともに市場から姿を消し、幻となっていました。そんな伝統野菜を掘り起こし、現在、復活へ導いたのは、情熱ある市民たちの活動がありました。かつて天王寺界隈で栽培されていた「天王寺蕪(てんのうじかぶら)」復活プロジェクトをスタートさせ野沢菜のルーツであることを発表、マスコミで大きく報道されたことをきっかけに伝統野菜に注目が集まり「なにわの伝統野菜」復活活動の先駆けとなった、天王寺蕪の会 事務局長の難波りんごさんにお話を伺いました。

 

天王寺蕪の会の皆さんと野沢温泉村長 富井俊雄さん

四天王寺境内にて、野沢菜原種旅の起点の石碑除幕式(2016年11月)

天王寺蕪の会の皆さんと野沢温泉村長の富井俊雄さん(真ん中)

 

 

 

ふとしたきっかけが、驚きの展開へ

難波りんごさんのお話によると、1995年、知人から「阿倍野・天王寺あたりの昔からの名物は何だろう?」という話になり、大正14年発行の『天王寺村誌』特産物の項目に、天王寺蕪(てんのうじかぶら)を見つけたのが始まりでした。調べてみると“江戸時代より天王寺周辺で約300年にわたり栽培され見た目よく大変美味で、干しかぶらや粕漬に加工され全国へ広がった。しかし病虫害により「駆除に努めたが全然甲斐なく、遂に廃絶に帰し、可惜、名のみを存するに至れるなり。」”…という記述があったのです。

「この天王寺蕪を掘り起こしてみては?」という知人の提案から、天王寺蕪について新聞などで情報提供を求めたところ、すぐに信州出身の料理研究家 宮田房子さんから電話が入り「天王寺蕪は野沢菜の親ですよ」と教えていただきました。

 

 

 

読売ファミリーで情報を募る(1995年6月14日号)

 

 

「日本山海名物図絵」5巻【3】より、天王寺村名物干蕪

「日本山海名物図絵」5巻【3】より、天王寺村名物干蕪

国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館)

(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555438)を加工して作成

 

 

 

野沢菜のルーツは天王寺蕪? 復活プロジェクトが本格的にスタート

「天王寺蕪は野沢菜のルーツである」この情報をホームページで公開したところ、1997年12月にテレビ番組「街かどチャチャチャ」で大きく報道されることになり、これをきっかけに天王寺にゆかりのある作家や郷土史家、タウン紙編集者、野沢菜の情報をくれた料理研究家、建築家、婦人会会長、調理師や高校の先生、家庭菜園研究家など13名で「天王寺蕪の会」を結成、本格的な復活プロジェクトが始まりました。

 

「街角チャチャチャ」では、ちょうど天王寺蕪の種子が大阪府立農林技術センター(現:大阪府立環境農林水産総合研究所)へ持ち込まれていて栽培中の天王寺蕪が紹介されていたので、放映後、会でセンターを訪問。

栽培に関わっていた農学博士 森下正博先生や種子を持ち込んだ漬物業者 石橋明吉さんとのご縁が繫がり、活動の幅が広がっていきました。森下先生は種子を増やし石橋さんと一緒に、河南町の農家に栽培のお願いに回るなど、普及活動もされています。こうして商業栽培もはじまり、漬物店では、天王寺蕪の漬物も販売されるようになっていきます。

その後、田辺大根や毛馬胡瓜、勝間南瓜(こつまなんきん)など、大阪の各地域で昔ながらの伝統野菜を復活する活動が広がっていきました。

 

野沢温泉「野沢菜のしおり」より

野沢温泉「野沢菜のしおり」より

‘野沢菜のルーツは天王寺蕪“と書かれています。

 

 

 

天王寺蕪を通じて、交流がはじまる

会では天王寺蕪を地元小学校に紹介して種子を配布、子どもたちが栽培を始めました。2001年、阿倍野区丸山小学校での天王寺蕪収穫祭の時、野沢菜の産地である野沢温泉観光協会の平田幸男さんが野沢菜を持参して小学校を訪問。子どもたちは天王寺蕪と野沢菜の歴史を学び、これがきっかけで大阪と野沢温泉村の友好交流が始まりました。

野沢温泉村では、野沢菜のルーツは天王寺蕪という話は承知の事実であり、”野沢温泉にある健命寺の住職が京都へ遊学した際、天王寺蕪の種を手にいれた。しかし標高の高い高冷地の野沢温泉村の気候風土により、カブよりも葉が大きく成長し、これが野沢菜の始まり“ と伝えられています。

 

 

「なにわの伝統野菜」認証へ

こうした活動を受けて、2005年には大阪の農業と食文化を支えてきた歴史と伝統をもつ伝統野菜の魅力発信と農業振興を目的に、大阪府と大阪市による「なにわの伝統野菜認証制度」がスタートしました。同年10月には天王寺蕪をはじめ、田辺大根や勝間南瓜、毛馬胡瓜などの伝統野菜14品目が「なにわの伝統野菜」の認証を受け、現在では全19品目が「なにわの伝統野菜」として紹介されています。この認証を記念し阿倍王子神社に「天王寺蕪」の石碑を建立され、これまで書物にしか残っていなかった特産物 天王寺蕪の証が地域に刻まれたのです。

 

 

伝統野菜がつなぐ、生命の絆

2009年、2013年には野沢温泉観光協会が「野沢菜伝来の街道ウォーキング」を開催。天王寺蕪の発祥の地、四天王寺をスタートしゴールの野沢温泉村の健命寺まで、約30日間かけて、野沢菜伝来の道600キロをリレー方式で歩いて繋ぎました。この企画はマスコミでも報道され、大いに話題を呼びました。2016年には野沢温泉村が村制施行60周年記念事業として、四天王寺に「野沢菜原種旅の起点」の石碑を建立しました。石碑には野沢菜のルーツは天王寺蕪であること、「当時の食糧事情を鑑みるに種の確保は生命確保の上で大切なことであった。」と記されています。

 

 

野沢菜伝来の街道ウォーキング

野沢菜伝来の街道ウォーキング

野沢菜伝来の街道ウォーキング(上:初日スタート、下:最終日)

 

 

 

大阪日日新聞記事

大阪日日新聞記事(2013年)

 

 

 

四天王寺、野沢菜原種旅の起点の石碑

四天王寺、野沢菜原種旅の起点の石碑

 

 

 

情熱ある行動が、復活への好循環を生む

今でも野沢温泉村との友好交流は続いています。四天王寺中学校では技術家庭の時間に天王寺蕪について学び畑で蕪を育てており、四天王寺では節分の日に天王寺蕪を使った「天王寺かぶら汁」を提供しています。また天王寺蕪以外の伝統野菜の普及活動を行っている団体や生産者との繋がりもでき、野菜のイベントなどでは互いに協力しているそうです。

事務局長の難波りんごさんは、現在も新たに伝統野菜に認証された「難波葱」や「堺鷹の爪」の掘り起こしや普及活動を続け、「今後もなにわの伝統野菜をはじめとする、大阪の食の素晴らしさを発信したい」とお話されていました。

ほんのちょっとしたきっかけからはじまった活動でしたが、メンバーの情熱ある活動により、好循環が生まれ、まるで絵本の「大きなかぶ」のように沢山の方が加わり「なにわの伝統野菜」奇跡の復活を成し遂げました。今回は幻の伝統野菜復活の事例を紹介しましたが、ひと言で市民活動といっても様々な形があります。ちょっとした疑問やきっかけなど、まずはご自身の興味関心ごとから、はじめてみてはいかがでしょうか?

 

 

●天王寺蕪の会(お問い合わせ先)

ringonamchan111@gmail.com

 

●なにわの伝統野菜

https://www.pref.osaka.lg.jp/nosei/naniwanonousanbutu/dentou.html

 

 

四天王寺中学校3年生が天王寺蕪を栽培

四天王寺中学校3年生が天王寺蕪を栽培

 

 

天王寺蕪 野沢温泉にて

 

 

 

 

(取材・執筆:シミポタ運営事務局 榮 知子)