市民活動ワクワクレポート内容
まちに、にぎわいを取り戻し、地域振興につなげる―。
自治体職員や商店街、そして地域が協働し、商店街の空き店舗をリノベーションしてつくりあげた交流拠点「みつや交流亭」。今では地域住民や地域外のさまざまな人々のつながりを生み出す交流装置として機能しています。その活動や連携協働の秘訣について、理事の福田弘さんからお話を伺いました。
行政と地域との協働への課題意見から生まれた交流拠点「みつや交流亭」
みつや交流亭誕生のいきさつについてお聞かせください
もともとは行政と市民の距離が遠いのではないかという問題意識から、行政のカウンターを越えて地域へ出ようということになり、商店街の空き店舗を借りて何かできないかという発想が生まれました。そこで自治体職員がつくる労働組合、商店街振興組合、雑誌編集者、大学研究者、落語家、子育てサークル、国際交流 NPO 、デイサービスセンターなど、多様な立場の人たちが集い、「まだまだよくなろ・みつや倶楽部」を結成。地域振興の議論を重ね、「自治体職員・商店街と地域がつながる「場」をつくろう!」と、商店街の空き店舗をリノベーションし、「みつや交流亭」が生まれました。
ここを拠点に、落語とそれに関連するお話を聞ける「落語deカルチャ!」、「ぼうさい朝市」、「三津屋音楽祭」など、多種多様なイベントを開催しています。
多様な人が運営に関わることは課題を補い合える側面も
みつや交流亭をつくる上で苦労されたことがあればお聞かせください
大きな問題だったのはスペースを開設することではなく、それを日常的にどう運営するかでした。自治体職員をはじめとする交流亭のメンバーは日中仕事をしており、交流亭に常駐できる人がいません。交流拠点をつくったところで、日中いつも閉まっているようでは地域の方に親しんでもらえる場所にはなりませんよね。幸運なことに、三津屋地域で活動拠点を探していた子育てサークル「育児&育自 “この指と~まれ!”」のみなさんに交流亭を拠点として使ってもらう代わりに、日中の店番をお任せすることになりました。おかげで日中に交流亭を開けることができています。多様な人が運営に関わることは、課題を補い合える側面もあります。
豊富な人脈をもつ人がキーパーソンにいるのが強み
立場の異なる多様な人たちを巻き込めた秘訣についてお聞かせください
みつや交流亭を立ち上げた初期メンバーで、タウン誌「ザ・淀川」編集長の南野佳代子さんの存在が大きかったです。取材を通して豊富な人脈をお持ちの方だったので、そこから交流亭のメンバーがどんどん増えていきました。
その後はメンバーそれぞれから人づてに活動が広がっていき、協力してくれる人が増えていきました。またイベントを行った後は、必ず参加者との交流会を開き、さらに親睦を深める工夫をしています。そうしてイベント参加者からも人脈が広がりました。
三津屋音楽祭やぼうさい朝市
いろいろな人を巻き込んだことでよかったことは?
みつや交流亭の活動は人のつながりが全てです。これまでも、人とつながることでさまざまなアイデアが生まれました。
いまでは地域の恒例行事となった三津屋音楽祭は交流の中で生まれたアイデアの一つです。きっかけは、みつや交流亭の隣にある居酒屋でお酒を楽しんでいた地元の人が「音楽で何かできないかなぁ」と呟いたこと。その後、みつや交流亭に話が来て、みんなで考え、企画し、開催されることになりました。
「ぼうさい朝市」は、「商店街で防災ネットワークを作ろう」とはじまったイベントで、避難訓練のような位置づけで、救援物資の物産販売や避難所の設営などを行ってきました。
ネットワークに三津屋商店街も加わることになり、2008年と2009年には三津屋地域でイベントを開催しました。主に北前船の寄港地にある商店街に出店していただき、その後も交流を続けていました。そんな時に東日本大震災が起こり、ネットワークのメンバーで三津屋地域のイベントにも参加していただいた山形県南三陸町の商店街が壊滅的な被害をうけました。三津屋商店街からも救援物資を送ることになり、南三陸に直接送ると混乱するので、日本海側で被害のなかったこれもネットワークのメンバーの山形県酒田市の商店街にいったん送ってから仕分けしてもらい、南三陸に送ってもらいました。そして現地で必要なものを教えてもらい、また送るということを繰り返しました。2008年に出会い、そのつながりを大切にし続けたおかげだと思っています。
人とつながり合うことに課題がないわけではありません。立場や関心のいろんな違いもあります。
私たちはそれを念頭に、地域の方にも商店街にも信頼してもらえるように取り組んでいます。
思うように活動できないコロナ禍でも悪いことばかりではない
コロナ禍での活動状況についてお聞かせください
直接会って交流することがメインなので、現在はなかなか活動ができていないです。
三津屋音楽祭は商店街の店舗やお寺、小学校などを使い、三津屋の街自体を一日限りの劇場にして開催していました。コロナ禍でも野外会場のみとして、十分な感染対策をしたうえで何とか開催したのですが、複数の施設を使うことができませんでした。やはり例年のように街全体で開催したい気持ちが大きいです。
でも先日、40代くらいの会社員の方が交流亭の活動に参加し、それがきっかけで地域団体にも関わるようになってくれました。フルタイムで働く会社員の方が地域に関わるのは難しいのですが、もし昼間に災害が起こったら、最大の働き手となるのは会社員の方ですので、できるだけ企業や会社員の方と普段からつながりを持ちたいと考えています。
企業もCSRの一環で環境問題をはじめ、社会貢献に取り組んでおられますが、足元の「地域」をテーマとし、社員が地域貢献することを奨励している企業も出てきています。うまく企業と地域をつなぐことができればと思っています。
地域外の方の参加も大歓迎!「とにかくやってみよう」の精神
みつや交流亭の成功の秘訣は?
三津屋は中世からの街ですので、コミュニティがしっかりしています。でもそれがかえって余裕を生んでいるのではないかと思います。
またみつや交流亭では、さまざまなイベントをやり続けながら、人が来てくれるのを待っています。そして、来てくれた人を商店街や地域につなげます。にぎわっている場所って入りやすいですよね?何か動いていないと人は来てくれなくなるので、「とにかくやってみよう」の精神を持ち続けることが、誰もが気軽に訪れることができる「交流の場」として大切なことだと思います。
交流の「ペースメーカー」としてWithコロナ型活動も視野にさまざまな企画を
今後の抱負
開催できていないイベントもありますし、早くコロナが一段落してほしいです。コロナが収まったら、まずは交流亭一番の人気イベントである「落語deカルチャ!」を始めたいです。
「落語deカルチャ!」は、普通の落語会とは違い、テーマを決めて、それにちなんだ落語を披露してもらった後、専門とされる方に講演してもらうイベントです。
祭りなどのイベントは地域の人たちが顔を合わせるきっかけであり、交流の頻度の目安、つまり交流のペースメーカーにもなります。
会場が狭くて密になってしまうために開催を見送ってきましたが、広い会場を借りてでもやりたいと考えています。また、三津屋音楽祭のネット配信もすることになりました。とはいえ、あくまでも直接、人と人が会って交流できる「交流亭」であることが、やっぱり一番ですけどね。
取材・執筆:高木 莉奈
(NPO法人わかもの国際支援協会)