市民活動ワクワクレポート内容

思い出深い実家を、処分せずに活かしたい

 

Osaka Metoro太子橋今市駅から徒歩15分。バスが走る道路からは少し奥に入ったところに、長年ここで町のお医者さんとして親しまれてきた「山根先生ん家」、山根医院があります。山根先生が亡くなって閉院 空き家になっていましたが、この春売却が決まりました。しかし、購入者は老朽化した家は取り壊して新築する 予定と知り、長女の田中(山根)かおりさんはたいへんショックを受けました。田中さんにとっては、ここは生まれ育った実家です。寂しい気持ちになった田中さんは、「なんとかしてこの家を残すことができないか。地域社会に役立つ、開かれた場をつくれないだろうか」 と思い立ちました。

 田中さんはこれまで、海外でのボランティア経験や趣味・資格を活かして、多文化共生や障がい者支援など、仕事でも市民活動でも、様々な活動をしてきた人です。「すべての人に住みやすい社会を創っていくために、この家を活かそう。共に考えていく人たちの集まる場所や、社会の役に立つ、何か面白いことができる場所をつくりたい」と考え、行動を起こしたのです。

 そこで、「山根先生ん家」を見学し、みんなで一緒にどう活かせるかを考えていこうと企画されたのが、6月8日のハイパーセミナー「山根先生ん家をどうしよう?」です。おおさか大好き、おおさかの元気を考える人の集まりをつくるラウンドおおさかもコラボして、2回に分けて内覧を行いました。

 

 

 

昭和の匂いのする木造建築

 「山根先生ん家」は、50年以上前、当時の大工さんが上質な材木を集めて建てた木造建築です。受付・待合室・診察室など医院の機能、趣の違う8つの和洋室とダイニングキッチンと納戸という家族の居住スペース、これに中2階の倉庫を含めると床面積は約100坪。2階建ての物件を、約1 時間かけてじっくり内覧しました。ガラスや床材など時代を感じさせる材料、往年のエアコンや看板、忍者屋敷のような掛け軸裏の隠し棚など様々な工夫があり、参加者からは度々驚きの声が上がりました。田中さんの説明を聞き、当時の山根医院や地域の様子を思い浮かべながら、昭和にタイムスリップしたような時間でした。

 

※内覧の様子はこちらの動画でご覧いただけます

 

 内覧の後は、参加者によるアイディア出し。田中さんから、「こんな場にできないか」という熱い思いのプレゼンを聞き、集まった建築家やNPOのメンバー、行政職員など15人が意見を交わしました。

「改修費用・耐震費用をどう捻出するのか?」

「使える助成制度はないか?」

「受益者負担で活用できるアイディアはないか?」

「貸出するなら1回の使用料はいくらにするのか?」

 ハイパーセミナーは、継続的に活動を続け、場を維持していくためにどのように資金を回していくかを考える「カネ」セミナーとして実施されましたので、参加者は、夢を語るだけではなく「カネ」にまつわることも活発に意見交換。この家の魅力と時代の空気感を活かしたまま、耐震補強をして、場として開いていくにはどうすればいいのか? 昭和の懐かしい思い出話にも花が咲き、あっという間に時間が経ちました。

 そして、田中さんの熱意と人柄、「山根先生ん家」の魅力に引き込まれて、ここで初めて出会った人たちがワンチームになっていました。

 

※意見交換の様子はこちらの動画ご覧いただけます。

 

話し合いの様子

 

 

企画チームの誕生

「山根先生ん家は取り壊さないで、できるだけ現状を活かして地域に開こう」。参加者全員の意見が一致しました。「取り壊して建て替えよう」という人は1人もいません。まさに田中さんの思いとピタリと重なり、実現に向けてチームが動き出しました。

 

 

 そして、セミナー終了後はFacebookメッセンジャーのグループが作られて今回のセミナーに参加した全員が参加し、早速情報交換や意見交換が始まっています。(写真参照)

 

「皆さんに実家をとても面白いと言っていただき、うれしかったです! また、オープン前から、たくさんの方に来ていただき、感激しました」と田中さん。50年地域で愛された「町のお医者さん」のお家が、みんなの意見で魅力あふれる場に生まれ変わっていきます。「山根先生ん家」の第二のステージも、きっと、多くの人に愛される場になることでしょう。

 

◆今からでもこの企画に参加したい方は「シミポタ運営事務局」までご連絡を!

連絡先:shimipota@gmail.com

(文・シミポタ運営事務局)