みんなの活動報告内容
住吉区を拠点に、フリースクール・訪問支援・居場所支援等を行っている、不登校・病児自立支援事業 ろ~たす。代表の松下祥貴さんに、その活動の社会的意義としてコロナをきっかけに芽生えた新しい変化について語っていただきました。【全2回】
※前編はこちらから
ここまで非常に重要なお話をしていただいたと思います。そして、この社会的意義が非常に評価されている活動も、やはり2020年初旬から拡大したコロナの感染は影響を及ぼしたのでしょうか。
コロナ禍で市民活動をしていて感じることは、日本社会にある同調圧力の強さです。たとえば、どこかの学校が行事を中止することを決めると、その周辺の活動も継続できない空気感が生まれていきます。同調しないと「感染防止に対しての配慮がない」とバッシングをされたりする恐怖感ってありますよね。もしかしたら誰かがネットで誹謗中傷をしたりして攻撃の対象になったりする……。
たしかに、コロナの感染拡大というのは大きなリスクです。そのことはテレビなどを通じて誰でも理解できるでしょう。しかし、そこから生じる第二次、第三次の変化がもたらす弊害も大きなリスクであり、それは簡単には見えてこないんですよ。たとえば、人生で大事な行事や、人と人が交流することが遮断されることにより生じる心身の状態のリスクに対しても私たちはしっかり対策をしないといけない。コロナの問題は、常に複合的な課題をもたらしていることを理解していく必要があると思います。
たとえば、分散登校が学校で行われていたりしますが、クラスで集まる生徒が異なると、それは思春期のこどもたちにとっては大人が考える以上に大きな環境の変化です。ろ~たすに通って、ようやく学校生活のリズムがついてきた子が、再び大きな悩みを抱くことになったりします。あるいは、コロナ禍の影響で仕事が変わるなど、大人の側の心身にも変化が生じたりする。すると、家庭の環境が変化しているわけですよね。それがこどもにも影響を与えるわけです。
決して単純ではないコロナ禍の影響について、地域に根ざした市民活動の現場だからこそ見えてくる側面があるようですね。
そうですね。しかしポジティブな変化も無いわけではありませんよ。たとえば、コロナになってからは毎朝、教室を消毒するという新しい習慣が生まれました。教室全体が常に綺麗になったんですね。それが及ぼす私たちへの心理的な影響って、言葉では伝えられないほど大きかったんです。
教室をきれいに保つ、環境を整備することは教育として非常に重要です。常に雑多な状態の環境で、何気なく日常を過ごしていると、無意識のうちに不快な感情が蓄積していきます。しかし、掃除をすることで快の状況に身を置くことができ、意識の底からやる気が出てくるんです。ある調査では、学校で学級崩壊が起こるケースと教室内の掲示物が綺麗に整理されていることの間には何らかの因果関係があることが示唆されています。
私たちは朝の掃除から、次に朝活を始めたんです。長居公園への外出や、畑で農園作業も始めたりしました。同級生と会わなくてもいい朝9時くらいからスタートする屋外活動は、人も少ないので感染防止にもなります。
そのような前向きな変化も踏まえて、団体の今後(アフターコロナ)への展望を教えて下さい。
大きく3つあります。まず、認定NPO法人を目指したい。そのために月額支援サポーターを100人集めるという具体的な目標があります。コロナ禍でこそ、活動のプロモーションをしっかりやっていきたいです。そのために、フリースクールに対する社会的なイメージを変えていきたいです。
フリースクールというと、不登校の子が取る最後の選択肢といったイメージがあると思います。しかし、そのイメージを変えていくために、フリースクール固有の意義と役割を理解してもらいたいと思っています。そして「フリースクールがあるから大丈夫だ」と言ってもらえるようになりたい。
もちろん、私自身は学校教育も非常に重要であると考えています。むしろ、学校には行って欲しいくらいなんです。フリースクールでは、学校の代わりはできないんです。しかし、学校教育を補完する役割としてのフリースクール等の市民活動の場も同じくらい固有の役割があると考えています。
二つ目ですが、大阪府内にもう一つ、中高生を対象とした居場所をつくりたいと思っています。小学生には、いきいきなどの放課後活動が大阪にはありますが、中高生を対象とした放課後デイサービスなどは足りていません。特に、学校の学習に加えて、言語聴覚士などを加えた「言葉」を大事にする教育を展開していきたいと思っています。
言葉ですか? それはまた、なぜ?
言葉というのは、言うまでもなく人間のコミュニケーションにとって重要な手段ですよね。コミュニケーションに苦労し、人間関係を築くことに大きな困難を抱える人が多いと感じています。
今はAIなどが話題ですが、私は人間の本当の意味でのコミュニケーションはAIでは補えないと思っています。たとえば、友達とうまくいかないときに、自分の気持ちをうまく表現できることや、そのためのボキャブラリーを持っていることが重要です。また、相手の言葉からその心情をくみ取って、自分の思いも伝えられて、という言葉での自己表現とコミュニケーションがうまくいかないときに、手が出てしまったり、引きこもったりするのです。これまでの活動を振り返ると、言葉を使う能力を育成すれば、学校生活もうまく送れたのではないか、感じることが多かったんですよ。
そう考えると、言葉は人間の孤立や貧困といったものとも関係を持っていますね。
はい。そして3つ目ですが、大人のための教育事業も展開していきたいです。デンマーク・フォルケホイスコーレなどが非常に参考になるのですが、いわゆるリカレント教育、つまり転職してもう一回仕事を始めるまでの間に、大人にも学ぶ機会が保障されるべきだと考えています。
私のイメージとしては、大人が好きに討論できて、興味があることについて意見交換ができる場です。答えは出なくていいんです。「対話」ができる場ですね。このことを考えるきっかけになったのが、実は今回のコロナなんです。
日本人は考えない、とよく言われますが、答えを出したがる傾向がどこかあって……。そこに行き詰まりが来ていることを、コロナに対する社会の反応を見ていて感じることが多くありました。こどもたちのためにも大人が変わっていかないといけないなぁと実感したんです。大人がちゃんと落ち着いて考えることができたら、街中からトイレットペーパーが無くなったりするような混乱は起こらなかったと思います。場当たり的な行動ではなく、大人は自分の意見をしっかり持ったうえで、将来の世代を自分の軸で導いていかないといけないはずです。その意味では、大人もこどもも、しっかりと考えるチカラを培って、寛容さや人を認めていく能力を養う必要があると思います。
多くの人も、共感するご意見だと思います。このポータルサイトは、そのような活動に貢献できてますでしょうか。
正直、とても恩恵を受けていますよ。把握されているか知りませんが、非常に多くの大学生がこのポータルサイトを閲覧しています。大阪市の教員採用試験/ボランティア加点制度などの仕組みも関係していると思いますが、大学生の子が「大阪市・ボランティア」といったキーワードで検索するんですよ。ここ1年でも、45人のボランティアが来てくださりました。半数以上がこのポータルサイトからです。
この大学生のボランティアが、本当に優秀な若者ばかりなんです。フリースクールの特性ですが、同じ学年でも生徒は習熟度が違うんです。大学生のボランティアはそのような生徒にとって、年齢が近いお兄さん、お姉さんとして自分の学習理解度に伴走してくれています。
これからも、ボランティアの協力者、市民の方々、こどもたち、ご家庭、地域の様々な人たちから必要とされるNPOで在り続けたいと決意しています。そして、コロナに限らずですが、どんな状況でも、できるだけ多くの人たちのお役に立てる団体を築いていきたいです。
(インタビュー:特定非営利活動法人若者国際支援協会)
※このインタビューは、法人に所属する大学生・高校生が実施しました。
コロナ禍の中、市民の生活を支えるボランティア・市民活動がどのように課題を克服し、活動に取り組んでいったのかを、団体の生の声からお届けします。