みんなの活動報告内容
●道頓堀×劇場街×まちづくり
●山根エンタープライズ/大阪まちプロデュース×六波羅真建築研究室
●まちづくり団体×地域×企業×劇場×学識者×芸能関係者×商店街×ボランティア
道頓堀はブロードウェイだった!? 劇場街の復興を願うミュージアム
ド派手なネオンに立体看板、たこ焼きやお好み焼き、串カツなど大阪グルメがひしめく、大阪を代表する観光地、道頓堀。そんな場所はかつて“日本のブロードウェイ”と呼ばれていたことをご存じでしょうか?
今から400年前の江戸時代。成安道頓が私財を投じて開削し、安井道卜が南船場から芝居小屋を一堂に集め、劇場街としてまちが発展してきました。そんな歴史を伝えたいと、2019年に「道頓堀ミュージアム並木座」をオープンさせた山根エンタープライズ株式会社の山根秀宣さん。「大阪まちプロデュース」活動と称して、これまで空堀での長屋再生プロジェクトや北浜での水辺の再生、北浜テラスなど多くのまちづくり事業に携わり、なぜ今、道頓堀なのか?詳しいお話を伺いました。
「道頓堀はブロードウェイ!」を発信、道頓堀の不動産を購入
道頓堀は400年続く劇場街として、街が発展してきました。しかし時代の変化とともに劇場や映画館は減少、バブル期には地価が高騰、老舗は店を閉め貸ビル業へと転換し、かつての劇場街の街の顔はどんどん消えてゆきました。この現状を寂しく感じていた山根さんは劇場街としての歴史を「道頓堀はブロードウェイ」という記事にして、自身のまちづくり活動を掲載している大阪まちプロデュース(omp)のホームページで公開したところ、マスコミで度々取り上げられ、テレビ番組内で道頓堀を案内したり、まち歩きツアーをするようになりました。しかし、年々、劇場は減少し活動の厳しさを感じていました。
そんな折、たまたま道頓堀にあるビルの不動産情報が耳に入りました。そのビルはもともと知り合いの元蕎麦店が所有していたもので、道頓堀川にも面し船着き場もある。一坪1000万円という大変高額な物件だが、仲介業者によると“道頓堀は人気の場所、外国人にも声をかけていて早く手をあげないとすぐに売れてしまう”という話でした。「これは、これまでの活動を神様から試されているのではないか?この機会を逃せば自分自身もきっと後悔するだろう……土地が高いということは、それなりの家賃もとれるだろう…。」と、2017年、道頓堀が外国人観光客で溢れていた時期に、思い切って購入することにしました。
ミュージアムの構想と切実な思い
不動産を購入後、このままだと劇場街が消えてしまう……という切実な思いから「道頓堀の劇場街の歴史を伝えるミュージアムを作ろう」という構想がすぐに浮かんだそうです。ただこれまでの経験から、まちづくりは直球で思いや考えを伝えても共感する人は少なく、うまくいかない。以前の長屋再生プロジェクトでは、長屋にアート作品を展示することで、アートを通して長屋の良さを自分で気づいて長屋を活用する人たちが出てきた。これは直球ではなくカーブの取り組みで成功した。しかし、道頓堀はあまりにも外国人観光客の嵐が凄すぎて、劇場街の街として生き残っていくことは風前の灯、もう時間がない……。
「ミュージアムはあえて直球で勝負しよう…!本当は行政の仕事だと思うが、民がやってもいいのではないだろうか?これまで多くのまちづくりに携わり、自分はとてもついていたと思う、最後にこれをやったら死んでもいい」という想いでミュージアムに取り組むことを決意しました。また会社にも「5年で黒字化しなければやめる」と言って協力を取り付けました。
設計と工事がスタート、これまでのネットワークと人脈が生む、奇跡の積み重ね
上方講談師の旭堂南陵さんにミュージアム構想の話をしたところ「ミュージアムにするなら、30人くらいが入れる講談の常設小屋にしてほしい」との要望があり、ミュージアムと芝居小屋の両方を兼ねるアイデアが生まれました。こうしてミュージアム作りがスタートし、長年、一緒に長屋再生を手がけてきた六波羅真建築研究室に企画と設計を依頼。ミュージアムの内観は道頓堀の劇場「大西の芝居」を模したとされる日本一古い芝居小屋「金丸座」(香川県琴平町)を六波羅氏と共に訪ね、その作りや人力で動く廻り舞台を研究。芝居小屋の内装、廻り舞台や花道などの再現を試み、2018年12月にはミュージアムを含む、地下1F地上4Fビルのリニューアル工事が完了しました。
その後、ミュージアムの展示物や解説文、運営や集客など、これまでのまちづくり活動で得たネットワークから多くの方が関わり助言や協力を得ることができました。まちづくり関連の団体や個人、歌舞伎や文楽などの演芸、芸能史の専門家や大学教授、デザイナーやカメラマン、劇場や博物館、舞台関係の団体、商店街やボランティアなどの支援を受け、それまで綱渡りのようだったミュージアム構想が徐々に形づけられていきました。ミュージアムの名前は、江戸時代に道頓堀で活躍した歌舞伎作者であり、また世界中のどこよりも早く、せり上げや回り舞台、宙乗りなどを発想実現した人物、並木正三(なみきしょうざ)からとり「並木座(なみきざ)」と命名しました。
ついに「道頓堀ミュージアム並木座」がオープン
翌年2019年3月ついに「道頓堀ミュージアム並木座」がオープン!建物の正面には歌舞伎役者や文楽人形の立体看板があり、その上には太鼓を叩いて上演時間を告げたとされる太鼓櫓を再現しました。また館内では外国人観光客にも対応できるよう多言語のイヤホンガイドを用意し、展示物を見ながら劇場街の歴史を学んだり、廻り舞台の体験や、歌舞伎役者に変身した写真が撮れるパネルなどを設置しました。昼間はミュージアムとして夜は座席を並べ公演もできる芝居小屋兼、貸スペースとして活用し、ミュージアム以外の地下1Fや2~4Fスペースは貸店舗や民泊として収益事業としました。
オープン当日は、ちんどん屋や和太鼓演奏、上方講談や浪速舞の演舞などが華々しくオープニングを飾り、これまで応援、協力してくれたメンバーや地元商店街の皆さんなどが詰めかけ、多数のマスコミで大きく報道されました。
コロナ禍での苦悩と光
オープンから1年も経たないうちにコロナ禍となり、道頓堀でも店舗の閉店や撤退など、空き店舗が目立つようになりました。ミュージアムの来館者も10分の1まで減少、入館者0(ゼロ)の日も増えていきました。
そんななか「ミュージアムに人が来なくても、落語、講談、ジャズ、浄瑠璃、市民歌舞伎などの公演には人が来てくれる。」この状況は400年前と同じではないか!道頓堀が掘削されたが人が集まらず、地域振興策として芝居小屋を誘致し、エンターテインメントで人を引き寄せ発展したのです。「演者さんも劇場街としての道頓堀を復興させたいという思いに応え公演をやってくれる。うちのミュージアムも公演を重視しよう!」それまでの夜のみだった公演を昼間にも開催するように変更しました。
また並木座での公演をきっかけに、後継者不足で困っていた伝統芸能「乙女文楽」に並木座ビルのテナント店の関係者が弟子入りするという、思いがけない伝統の継承につながる出会いも誕生しました。
コロナ前は「外国人観光客のお客さんが沢山来てくれるなら、ドラッグストアが増えてもいい」という考えだった街の声も「本来の道頓堀の歴史を見直そう、エンタメがあってこその街だ」と言ってくれる人が増え少しずつ考え方が変わってきたのを感じるようになりました。その意味ではコロナが本来の道頓堀のあり方を見直すよい機会となりました。
道頓堀でエンタメの成功事例を作る
オープンから4年目に入り今年5月にはミュージアムがリニューアルオープン。展示や料金、サービスを見直し、公演も新しいイベントが始まって、並木座が知れ渡るようになり、リピーターも増えてきています。
「並木座の公演に来てくれる方には、道頓堀で演芸を見るのはええなぁ…と感じてもらいたいし、うちのミュージアムが生き残ることは、この町でエンターテインメントをやっていけるという成功事例になる。ミュージアムだけだと厳しいがビル全体でみれば赤字ではない。並木座を皮切りに、かつての劇場街復活への成功事例となり、道頓堀でエンターテインメントに挑戦したい!という事業者が出てきてくれたら嬉しい……!」と話す山根さん。最後に「今後も手をかえ品をかえ、エンターテインメントがこの街で生き残る方法を探ってゆきたい」というお話を伺うことができました。
切実な思いと願いのこもった私設ミュージアム「道頓堀ミュージアム並木座」ぜひ休日は並木座へ出かけ、改めて道頓堀や街のあり方について考えてみてはいかがでしょうか?
●山根エンタープライズ株式会社 http://www.yamane-e.com/index.htm
●大阪まちプロデュース(omp) http://www.yamane-e.com/omp.htm
●道頓堀ミュージアム並木座
http://www.yamane-e.com/dotonbori-namikiza.html
(取材、執筆:シミポタ運営事務局 榮 知子)