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ビジネスはもちろんプレイベートの対人関係でも、普段、私たちは言葉を中心にコミュニケーションを図っている。
だが、もしその言葉が使えなかったとしたら……。
そんな“声”のない状況下で、表情や身振り手振りだけで互いの意思疎通を図り、日常では気づけないコミュニケーションの大切さを学ぶユニークな研修事業がある。
その名も「デフ・コミュニケーション研修」。
講師を務めるのは、“デフ”と呼ばれる耳が不自由な聴覚障害者だ。
同研修を主宰する「Silent Voice(サイレントボイス)」の尾中友哉さんは、「普段から表情や身振りなどの視覚情報だけでコミュニケーションをとる聴覚障害者は、研修の無音状態では最も意志疎通に長けた存在。
彼らが持つ声を使わない表現スキルや読み取りスキルのエッセンスを体験的に学ぶことを通して、コミュニケーションで本当に重要なものは何かに気づいてもらうのが狙い」と話す。
具体的には、参加者はグループ単位に分かれ、声を使わずに簡単な単語や文章、図形などを視覚情報だけで伝え合う。
普段とは違う「なかなか伝わらない経験」の中で、単に手話やジェスチャーの技法を学ぶのではなく、相手の意図を読みとろうとする真摯な姿勢や分かりやすく端的に表現することの重要性などに改めて気づかされるという。
「私たちがそれほど苦もなくコミュニケーションできるのは日本語という便利な共通言語があるからですが、それゆえに相手が求めていない話を長々としてしまったり、人の話をおざなりに聞いてしまったりということは日常的によくあること。
コミュニケーションの基本はこうだ!と言ってもなかなか耳に入らないものですが、聴覚障害者のコミュニケーション空間を体感しながら新鮮な気づきとして受け止められるデフ・コミュニケーション研修であれば、企業や行政、学校などのあらゆる現場で生かせるのではと思っています」
「サイレントボイス」の立ち上げは2014年。
聴覚障害者の強みを発信して、社会に知られていないその素晴らしさ(音なき声)を広く伝えていくことを目的に発足。
聴覚障害に何らかの関わりを持つ20代の男女8人が、それぞれ本業のかたわら活動を行う。
代表を務める尾中さんは、「聴覚障害の両親を持つ聞こえる子ども」だった。
手話を第一言語に、4~5歳頃から日本語を学習。家庭内では聞こえない世界、外では聞こえる世界という2つの文化を行き来するハイブリッドな環境で育った。
そうした生い立ちの人をアメリカなどでは「Children Of Deaf Adults」の頭文字をとってコーダ(CODA)と呼ぶが、尾中さんにとって親が聞こえないことは“障害”ではなく、むしろそれが自身のできることを伸ばし、強くたくましい生き方を教えてくれた。
が、いざ社会に出ると、「障害者」という言葉はかわいそうな支援すべき存在としてネガティブに語られることが多く、違和感を覚えた。
そのイメージが、尊敬の念を抱く両親や聴覚障害の友人らの姿とどうしても重ならなかった。
「自立してイキイキと働いている障害者はほんの一握り。
多くは単純作業に従事して、社会の隅に追いやられているように思えた」。
転機が訪れたのは、大学を卒業後、広告代理店で働いていた頃だ。
町の人気団子店の行列に並んでいる時、最前列のろう者が店員とうまくコミュニケーションがとれずパニックに陥っているところを咄嗟の機転で尾中さんが仲介。
「すごく助かりました。ありがとうございました」とお礼を言われた時、鳥肌が立つほどの高揚感を覚えた。
「憧れだった広告代理店に就職して、仕事の中で感謝されることはもちろんありましたが、何のために自分は働いているのかよく分からなかった。
でも、その時の行動はすごく自分らしくできた気がして、自分にはこういう強みがあったと気づかされた。
モノづくりが好きで、手話ができて、聞こえない世界と聞こえる世界の両方の文化も理解している自分にはもっとやれることがあるんじゃないかと思えた」
退社後、始めた活動は周囲の聴覚障害者へのインタビューだ。
「聞こえない」というハンディを乗り越え、力強く生きる人たちの軌跡を通して聴覚障害者の強みを発信。
それが「サイレントボイス」の原点となった。
団体発足から2年。
現在は、企業や行政などを対象とした「デフ・コミュニケーション研修」のほか、聴覚障害を持つ子どものキャリア支援という2つの事業を行う。
キャリア支援については、耳が不自由なことを理由に十分な教育の機会を得られない課題を解決するため、オンライン家庭教師の事業を展開する民間企業と提携。聴覚障害を持つ小・中・高生向けに、手話などの情報保障を受けながらオンライン学習できる環境を提供している。
いずれの活動も契約者から得られる事業収入によって経費を賄っており、今後は本格的に事業拡大していく考えだ。
「デフ・コミュニケーション研修はこれまで200名を超える受講実績がありますが、主には障害福祉的な観点から企業や行政のモデル事業として呼んでいただいているのが現状なので、今後はブラッシュアップを重ねて、もっと一般の広い分野でも活用できる能力開発カリキュラムとして育成していきたい」
また、聴覚障害者の強みをより広く社会に発信していくことを目標に、社会性と経済性を同時に担保できる新たな事業の創出にも取り組んでいる。
「私たちのビジョンは、数十年後の社会の中で聴覚障害者の多くが夢を持ってイキイキと働いている状況を創り出すこと。
そのためには、聴覚障害者の“教育”と“雇用”は絶対に必要で、障害者がキャリアを作れる仕組みづくりに少しでも貢献できるような事業を創出したい。
そうした先に、障害者が今の支援されるべき存在から抜け出し、立派に働きながら社会を支える“タックス・クリエイター”の側に回る社会にしていければと思っています」
■団体概要 Silent Voice
「きこえないから、みえる世界がある」をキャッチフレーズに、聴覚障害者の強みを広く発信するとともに、その強みを活かした事業を展開。
声を使わずに表情や身振り手振りだけで意志疎通を図る聴覚障害者の伝達力を活かした「デフ・コミュニケーション研修」は、一般企業や行政などの能力開発カリキュラムとして活用されている。