社会課題と市民活動内容

 さる5月、市民活動の年表編纂に関わった研究者や市民活動団体が集うシンポジウムが開催されました。これは、『増補改訂版日本ボランティア・NPO・市民活動年表』 (以下、年表)の刊行に合わせて行われたものです。シンポジウムでは、人権、福祉、環境保護、まちづくり、災害復興支援、支援行政など、明治以降150年のボランティア・市民活動の概観や知見が報告されました。

 

「まちづくり」は地域住民の環境改善運動

 編集委員の一人、(社福)大阪ボランティア協会ボランタリズム研究所所長・岡本仁宏氏によると、「掲載項目をみると、人権や文化、教育などの分野は明治期以来一定の地盤があった。大正期には反戦平和や消費者保護の活動が増え、戦後は環境保護や国際協力、まちづくりなどの活動が増えた。90年代以降は支援行政や防災の活動が急増する一方で、ジェンダー・フェミニズム、反戦平和の活動が減少している」とのこと。

 年表に掲載された項目という限定はあるものの、その変化から、戦後の男女共同参画の流れの中で増えてきたジェンダー・フェミニズムの活動がバックラッシュ(ゆり戻し)を受けて減っていることや、災害が多発する近年、防災の活動が急増していることなど、社会の姿を映して変遷してきた明治以降の市民活動の歴史がわかります(図1〜図4参照)。

「市民活動という概念が確立したのはバブル崩壊後の近年のこと」「戦後の成長期は都市計画の時代。まちづくりの活動は、人口減少社会の『地域における、市民による自立的継続的な環境改善運動』」など、さまざまな視点から議論がありました。

図1 分野別項目数の変化のグラフ 

 

図2 戦前期は少ないが戦後増大する分野のグラフ

 

図3 90年代以降急速に増大する分野(グラフ)

 

図4 90年代以降減少する分野(グラフ)

(図1〜4はボランタリズム研究所所長 岡本仁宏作成)

 

「歴史は続いている。歴史は繰り返す」

 編集主幹の牧口明さんからは、年表編纂作業を通じて気づいたこととして、『歴史は続いている』ということと『歴史は繰り返す』という話があり、例として次のようなエピソードが紹介されました。

「私たちはともすれば、歴史の断面をエポック的に切り取って、例えば足尾銅山鉱毒事件は明治期、あるいは明治・大正期の出来事といった形で理解しがちですが、1973年の閉山後も精錬所の操業は1980年代まで続いていました。堆積場から出た汚染水による被害は今も残り、運動は継続しています」

「虐待についてみてみると、明治期の1909年に原胤昭(はらたねあき)が児童虐待防止事業に取り組み、1933年に旧児童虐待防止法が成立します。これは戦後、児童福祉法に吸収されるかたちで廃止されたのですが、社会情勢の変化に伴い、2000年に再び現在の児童虐待防止法が制定されました」

 

日本ボランティア・NPO・市民活動年表の表紙

年表は、市民活動約13,000項目が16の分野別にまとめられている

 

市民活動の広がりと記録することの意義

 ところで、シンポジウムでは、「選択と評価が難しい項目が多かった」という報告が続きました。

 制度ができるなど社会状況が変わる中で、その活動が「ボランティア・市民活動」と言えるのか、線引きが難しい領域も増えています。また、地域的な活動や個人での取り組みなどは公式な記録やウェブサイトがないものが多く、設立経緯や活動実績の事実確認ができなかったそうです。

「活動で精一杯で、記録づくりに手が回らない」という声をよく聞きますが、皆さんの活動はどうでしょうか? 記録することは様々な意味で重要です。

 成功も失敗も含めて記録することで、活動が目標に近づいているかを確認し、次に向けて改善していくことができます。活動内容や成果を伝えることなしに、支援者や理解者は増えませんが、広報のベースはいうまでもなく記録。伝えることから新たな連携が生まれ、活動が活性化していきます。データがあれば研究につながりますし、次世代にバトンタッチするためにも、記録が必要です。

 市民(活動)の歴史は、そもそも記録しないとその足跡を残すことも、広く伝えることもできません。そして、意識して保存しないとすぐに散逸してしまいます。記録は、一個人や団体の活動を充実させることはもちろん、市民活動全体の力につながります。先人たちの活動の成果の上に今の市民社会があることを胸に刻み、あらためて、活動の記録の意義を考えていきたいものです。

 

(シミポタ運営事務局 コリアジャパンセンター)